1970年代後半から旧東ドイツでドキュメンタリーを制作してきた東ドイツ出身のトーマス・ハイゼ監督。ベルリンの壁が崩壊するまで上映が禁止されてきたハイゼ監督の80年代の東ドイツ3部作は、掘り起こされたタイムカプセルのように社会主義が根付いた東ドイツを現代に蘇らせます。知られざるハイゼ監督の素顔と作品が制作された背景にある今はなき社会主義国家・東ドイツに迫ります。日本語字幕/DCP・2K上映
日本語字幕 渋谷哲也 / 映像制作 InterZone / 配給 サニーフィルム / ©️ Thomas Heise
トーマス・ハイゼ 東ドイツ3部作〜今はなき社会主義国家
一体何故この連中の映画を作るのか?
(1980年 / 32分)
東ベルリンのプレンツラウアー・ベルク地区、給水塔の周辺は不良の溜まり場となり軽犯罪が横行していた。ハイゼ監督はこのエリアで犯罪行為を続ける兄弟ノルベルトとベルントの自宅を訪れてカメラを向け、彼らの日常生活と将来のイメージを語らせる。作品のタイトルは、ハイゼ監督が映画大学で企画提案をした際、企画に反対する教師に言われた一言で、その一言を映画の題名にしたことでハイゼ監督と大学との間に亀裂が生まれ、その後ハイゼ監督は大学を去ることになる。
家
(1984年 / 56分)
ドイツ民主共和国首都ベルリン・アレクサンダー広場にある区役所。職業や生活の相談に訪れる人々。ある華奢な女性に太った男性職員がライプツィヒの高学歴の学者と結婚しろと茶化す。そこへ字幕が、"ジョークだね。自分たちの人生は自分で決める"と挿入され、リアルな対話が多面的に提示される。生活に困窮する若者に自由ドイツ労働総同盟に参加することだけを勧める大人の怠惰な様子は窺えるが、同時に若者の不満のはけ口として親身になれる人と行政サービスがある社会も映し出す。結婚式場にはホーネッカーの写真が貼られ、社会主義国家を生きる普通の人々の生活感を克明に捉えたまさに記録映画。
人民警察
(1985年 / 60分)
4月の復活祭(イースターホリデー)を直前に控えた人民警察内部。警官はコーヒーを飲みながらアイスホッケーや映画のラブシーンに見入っている。働く大人たちは無気力に日々を送り、働かない若者は体制反撥者となる。彼らに共通するのは現在も将来も見えない漠然とした不安の中で思考停止してしまった姿なのかもしれない。監督はまだ10代前半の男の子に将来の夢を訪ねる。男の子は目を輝かせながら人民警察で働くと語る。この男の子も今は50歳となっているだろう。そしてこの子が成人する時には社会主義体制だったドイツ民主共和国は消えてしまった。
トーマス・ハイゼ
監督/作家/詩人 1955年東ベルリン生まれ。国営映画会社デーファ(DEFA)で監督助手として務めた後、70年代後半からドキュメンタリーを制作し始める。’80年から’85年にかけて制作した全5作のドキュメンタリーは体制にとって相応しくないとされてベルリンの壁崩が壊後するまで上映が禁止された。劇作家のハイナー・ミュラーの後押しもありベルリナー・アンサンブルに舞台監督として所属する。現在はベルリン芸術アカデミーの教授。40年以上のキャリアで20作のドキュメンタリーを完成させている。最新作『ハイゼ家 百年』が記念すべき日米初劇場公開作品となる。